
「汗水垂らして真面目に働いて、ようやく得たお金」
こういうフレーズを聞くと、
どこか“正しさ”や“清らかさ”を感じてしまう人は多いでしょう。
実際、日本では長らくそういう価値観が美徳として語られてきました。
- 朝の満員電車に耐えて
- 上司や取引先に頭を下げて
- やりたくない仕事も我慢して
- 気づけばクタクタになって帰宅
その対価として手にする給料。
「これは自分の汗と努力の結晶だ」と思うのも当然です。
でも、そこには1つの落とし穴があります。
苦労して得たお金ほど、あなたは“自由に使えなくなる”。
なぜか? お金に「感情」が強く乗ってしまうから
労働で得たお金には、自分の時間だけじゃなく、
我慢やストレスといった感情まで染み込んでいます。
- 「あの嫌なプレゼンに耐えて得た5万円」
- 「あの残業の夜がなければ振り込まれなかった10万円」
- 「理不尽な上司に飲み込んで耐えたから今の収入がある」
そう思ってしまうからこそ、
そのお金を使うときに“余計な感情”がついてくる。
つまり、「減らすのがもったいない」と感じてしまう。
そして、お金は“動かなく”なる
- 買いたいものがあっても、やっぱり我慢
- 外食をしても、頭の中でコスパを計算
- プレゼントも「予算内かどうか」で決める
一見、堅実で素晴らしいように見えるけれど、
それって本当にあなたの“望んだ自由”ですか?
お金の使い方が“罪悪感ベース”になっているとしたら、
それはもう「豊かさ」ではありません。
一方、“軽く入ってくるお金”の方が自由をくれる
私は今、ある程度の資産を築き、
株式などの配当や投資収益でお金が入ってくるようになりました。
- 朝起きると、数万円の配当金通知
- 特に働いていないのに、利益が乗った資産が増える
- 「自分が働いてない間」に、お金が勝手に育っていく
こういうお金には、感情が乗っていない。
だからこそ、変に重たくないし、
何かに使うときも、「罪悪感」や「もったいなさ」をあまり感じない。
それどころか、使うことで循環させようという前向きな気持ちになれる。
重いお金しか知らない人は、人生がどんどん“縮んでいく”
資本からお金を得るようになって、気づきました。
労働でしかお金を得ていない人の多くは、人生の選択肢がどんどん狭まっている。
- 「また働かなきゃ」
- 「これは将来のために使わずにおこう」
- 「もしかしたら老後に困るかもしれない」
そうしてどんどん“自分の未来”に制限をかけていく。
せっかく汗水垂らして得たお金が、
あなたを自由にするどころか、縛りつけている。
「汗水垂らして稼いだお金=価値が高い」という幻想
そろそろ、こうした根深い信仰を疑ってもいいんじゃないでしょうか?
確かに、努力して稼いだお金には思い入れがあります。
でも、それが“重すぎて使えない”なら、意味がない。
お金は、本来「人生の選択肢を広げる道具」のはずです。
それなのに、
その使い道すら見失ってしまうほど感情を乗せてしまうのは、本末転倒。
あなたはずっと慎ましく、我慢して生きていくのか?
- 節約が趣味
- 無駄遣いは悪
- お金の話をするのは卑しい
そう言いながら、
本当は「お金の自由」が欲しい人たちがたくさんいます。
でも、その方法を知らない。
あるいは、“楽して稼ぐのは悪だ”という思い込みから抜け出せない。
だから、自分が得た重いお金を大事に抱えて、
何も使わず、何も行動せず、
ただ老後に備えて生きていく。
それが果たして、あなたの望んだ人生だったのでしょうか?
結論:悔しかったら、資本を築け
私はもう、重いお金に縛られる人生には戻りたくありません。
- 働かないとお金が入らない
- 減るのが怖くて使えない
- 使うたびに自己嫌悪になる
そんな“呪われたお金”は、もういらない。
本当の自由が欲しいなら、
資本を築くしかない。
文句を言う前に、愚痴る前に、
「悔しい」と思うなら──
とっとと資本を持とう。
話はそれからだ。
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