「俺が若い頃は命を削って働いた」って?それってあなたが勝手にやったことですよね?

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職場や飲み会で、こんなセリフを聞いたことはありませんか?

「俺が若い頃は寝ずに働いたもんだよ」

「残業100時間?普通だったな〜」

…それ、あなたが勝手にやったことじゃないですか?

この記事では、そんな“昭和の働き方武勇伝”に対して、

令和の価値観でどう向き合うべきかをユーモアを交えて語ります。

「命を削って働いた」武勇伝に感じるモヤモヤ

なぜか自慢げに語られる、命を削ったような労働エピソード。

  • 終電で帰ってまた朝イチ出社
  • 上司の家に泊まって資料作成
  • 休日は全部仕事に捧げた

ご立派かもしれませんが、それは美談ではなく、ただの労働環境の欠陥です。

それを誇らしげに語られても、

こっちは「それって自分で勝手にやっただけでは?」としか思えません。

会社は「死ぬほど働け」なんて言ってない

多くのケースで、会社は「寝るな」「命を削れ」とまでは言っていません。

でも、その“空気”を勝手に読み、自主的に限界を超えてしまった人たちが一定数いるのも事実です。

さらにその人たちはこう続けます。

「最近の若いのは根性がない」

「俺らの頃とは違うなあ」

そうです、時代が違うんです。

それは褒め言葉でもなければ、説教材料でもありません。

強制されても、「聞かない自由」がある

仮に当時、「残業しろ」「休むな」と明確に言われていたとしても、

それを受け入れて働いたのは自分の選択です。

現代の働き方は、「会社の空気」に従わない自由も認められつつあります。

  • 有給はちゃんと取る
  • 残業は断る
  • メンタルと健康を守るのが最優先

そういう時代に、「俺の若い頃は〜」というマウントはもう時代錯誤です。

「苦労=美徳」の時代は終わった

働くうえで努力は必要です。

でも、“無理を美化”する文化は終わらせなければなりません。

「俺は苦労した。だからお前も苦労しろ」

この思考は、ただの負の連鎖です。

それよりも、

  • 効率よく働いて成果を出す
  • プライベートも充実させる
  • 余裕を持って人に優しくする

そんな社会を目指すほうが、よっぽど建設的です。

まとめ:「俺は命を削った」自慢より、これからの働き方を考えよう

あなたが命を削って働いたのは、あなたの選択。

それを後輩に押しつけるのは、ただの自己満足です。

苦しみを語るより、

「どうやったら楽に幸せに働けるか」を語ろう。

過去の美談より、これからの改善。

そういう未来志向な社会にしていきたいですね。