
かつては「なんでできないんだよ!」「何度言わせるんだ!」と
後輩や部下にカッとなっていた自分。
でも資本主義をちゃんと勉強したら──
もう怒れなくなったんです。というか、怒る理由が見つからなくなった。
なぜなら、
俺もお前も、同じ“搾取される側”の労働者だから。
この記事では、資本主義の構造を知ったことで変わった“労働者としての視点”と、
なぜもう「部下を怒ること」に意味が見いだせなくなったのかを語ります。
資本主義を知った瞬間、すべての怒りが静かになった
資本主義の基本構造を学ぶと、こうなります。
- 働いて利益を出しても、取り分の大半は資本家へ
- 労働者は「時間と労力」を切り売りしている
- 頑張っても“使い捨て”にされる可能性は常にある
- 労働力は“コスト”であり、“人間”ではない視点で管理されがち
そしてふと思うわけです:
「俺も部下も、会社に“時間”を売ってるだけじゃん」
怒るべき相手は部下じゃない。
この構造を利用してる“上”にいる人たちだと。
部下ができないのは、本人のせいじゃない
昔の自分は、
「やる気が足りない」「もっと努力しろ」「考えろ」と言ってた。
でも今はわかる。
- マニュアルが整備されていない
- 研修が不十分
- 仕事量が異常
- 時間が足りない
- 頑張っても評価されない
そんな環境で、できないのは“当たり前”だと。
怒るべきなのは部下じゃなくて、
そんな環境を放置してる仕組み、構造、つまり“資本の都合”なんですよね。
自分もまた、搾取される側だと気づいた
たとえ管理職になっても、部長になっても、
会社の株を持ってない限り、資本家ではありません。
- 残業しても
- 部下を教育しても
- パワポを深夜に作っても
それが「自分の利益」になることは少ない。
自分の命と時間を“労働”という形で提供し、
その対価として“給与”をもらう立場。
つまり、俺も部下も、“同じ穴のムジナ”だったわけです。
「怒り」ではなく「理解」へ。労働者は手を取り合うべき
資本主義社会の中で、労働者同士が怒り合うのは──
コロシアムで囚人同士が戦わされてるようなもの。
- お互い疲弊し
- 信頼を失い
- 搾取されるだけ
だったらせめて、同じ労働者同士で敵対するのではなく、
理解し合って味方になる方がよっぽど健全です。
まとめ:「部下を怒れない」のは、知ってしまった者の優しさ
資本主義の構造を知ったら、もう部下を怒る気にはなれない。
だって彼もまた、システムに組み込まれた歯車にすぎないから。
「なんでこんなこともできないんだよ!」
じゃなくて、
「この仕組みでよく頑張ってるな…」って思えてくる。
管理職として優秀かどうかはわからないけど、
人間としては、それでいいと思うんです。