
子育てとは、不思議な営みです。
親には子どもに対する責任があるとされ、社会や法律もそれを求めてきます。
けれどその一方で——子どもは決して親の思い通りにはなりません。
「責任はあるけれど、コントロールはできない」。
この矛盾こそが、親という立場に最初から課されている葛藤なのです。
「しつけ」と「支配」は違う
親である以上、子どもにルールやマナーを教える“しつけ”は欠かせません。
しかし、その延長線上で“支配”に踏み込んでしまうことがあります。
それは、進路、交友関係、価値観…
本来その子に委ねられるべき“選ぶこと・失敗すること”の権利まで親が握ろうとする状態です。
もちろん、「幸せになってほしい」「傷ついてほしくない」と願う愛情ゆえの行動です。
けれど結果をコントロールしようとすればするほど、子どもは自分で考えることをやめ、
やがては“親の顔色をうかがう力”ばかりが上手になってしまいます。
子どもは“未完成な他者”
血のつながりはあっても、子どもは親のコピーではありません。
似ている部分もあれば、驚くほど異なる価値観や才能を持っている、“未完成な他者”です。
もし子どもを“作品”のようにとらえてしまえば、親はゴールを設定し、
そこへ向けて修正しようとしてしまいます。
ですが実際には、その子自身の中からしか芽吹かない“意外な花”もあります。
親の役目は、その花が自然と咲くための「環境を整えること」なのかもしれません。
“責任”を「結果」ではなく「関わり続けること」へ
では、私たちは何に対して責任を持てばよいのでしょうか。
それは「結果」ではなく、“関わり続ける姿勢”にこそ置くべきだと感じます。
- 選択肢を提示すること
- 失敗しても帰ってこられる場所であり続けること
- 「あなたを信じている」という姿勢を、態度で示し続けること
これらは“支配”とは真逆の行動です。
むしろ、支配しない覚悟を持ったときこそ、親子関係は豊かに育っていくのではないでしょうか。
まとめ:支配しない勇気も、親の責任です
子どもは親の所有物ではありません。
親には責任がありますが、子どもを思い通りに“コントロール”することはできません——むしろ、すべきではないのです。
その矛盾を自覚しながらも、そばにい続けること。
この覚悟こそが、これからの時代を生きる私たち親に求められる、新しい“責任”なのではないでしょうか。