相対的幸福感──私が資産を貯めても会社を辞めないのは社畜を見ると安心できるから

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「FIRE(経済的自立・早期リタイア)を目指して資産を貯めてきた」

「もう働かなくても暮らしていける金額はある」

──なのに、なぜか会社を辞めない。むしろ辞めたくない。

その理由に最近、ようやく気づきました。

“社畜を見て安心している自分”がいたからです。

今回はちょっと笑えるけど、ちょっと切ない──

「幸福感とは相対的である」という現実と、

資産を持っても“辞めない選択”をする自分の心の仕組みについて語ります。

「辞めたい」と言いながら、なぜか辞めない人

FIRE界隈では「1億円あれば辞めていい」とよく言われます。

でも実際にその水準を超えても、多くの人は辞めません。

むしろ言います。

  • 「もう少し貯めてから…」
  • 「念のため働きながら投資を続けようかと…」
  • 「会社も悪くないし、なんとなく続けてる」

──これ、ほぼ“会社依存症”の初期症状です。

辞めたいはずなのに辞めない。

自由になれるのに、自由を選ばない。

なぜか?

答えはシンプル。

社畜を見ると、自分のポジションに安心できるからです。

社畜を見ると「自分はマシ」だと思えてしまう

毎朝、満員電車に詰め込まれて、

疲れた顔でスマホをいじるサラリーマンたちを見ながら、私は考えます。

「自分はもう“あっち側”じゃない」

「いざとなれば辞められる。まだ働いてるけど、自分は違う」

──それ、違う顔した“同じ穴のムジナ”です。

完全には辞めない。

でも「自分はいつでも辞められる」という余裕ポジションにいたい。

その“ポジション”を保つために、社畜の存在が必要なんです。

つまり私は──

社畜を見ることで自分の幸福感を維持しているのです。

幸福感は「絶対値」ではなく「相対値」

私たちはつい、「資産が増えれば幸せになれる」と思いがちです。

でも実際は違いました。

  • 1000万円貯めても「2000万円の人」が気になる
  • 5000万円あっても「FIREした人」がまぶしく見える
  • 会社を辞めると決めたのに「まだ働いてる同僚」を見て戻りたくなる

結局──

幸福感とは「他人との距離」でしか実感できない“相対的なもの”だったんです。

しかも厄介なことに、

下を見ると安心し、上を見ると不安になるという構造つき。

これじゃ、どれだけお金を貯めても、ずっと心は落ち着かないですよね。

FIREの本質は「自由」じゃなく「優越感」なのかもしれない

気づいてしまいました。

FIREを目指していたのは「自由になりたかったから」じゃない。

実は、「“働いてる人たち”より先にゴールしたかった」だけなんじゃないかと。

つまり目的は「自由」ではなく「比較」だった。

  • 自分だけが“気づいてる側”にいたい
  • 自分だけが“抜け出した勝者”でいたい
  • そして周りを見て「まだあの人たちは知らない」とほくそ笑んでいたい

それって、ちょっと歪んでませんか?

でも、めちゃくちゃ“人間らしい”感情でもありますよね。

比較しない幸福感を持つには?

ここまで読んで、「うわ、自分にも当てはまるかも」と思ったあなたに、処方箋を3つ。

① SNSを見すぎない

X(旧Twitter)やYouTubeは“人生比較装置”です。

あっちはFIREして温泉、こっちは仕事帰りのコンビニ飯──

比べてしまうのは当然です。

見なければ、そもそも比べない。

② 「誰と比べてるか」に気づく

自分の幸福感が“誰を見て生まれてるのか”を意識してみてください。

  • 下を見て安心してる?
  • 上を見て焦ってる?

その感情は本当に「自分の幸せ」ですか?

③ FIREは「見せびらかすもの」じゃない

本来、FIREは“静かにやるもの”です。

誰かより早くても遅くてもいい。

自分の生活、自分の時間、自分のリズムでやる。

それを忘れると、

いつまでも「他人がいないと幸せになれない人」になってしまいます。

まとめ:資産があっても自由にはなれない。他人と比べてる限りは

私はFIREの途中です。

お金はあります。時間もあります。

でも、社畜を見ることで安心している自分がいる限り、たぶん私はまだ“自由じゃない”んです。

本当に自由になるためには、

「お金」じゃなく「他人との比較」から抜け出す必要がある。

幸福はいつも、他人の姿を借りてやってくる。

でも本当の幸せは、誰も見なくなったときに、ようやく手に入るのかもしれません。

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