
「○○に2時間並んだ」「新店舗オープン初日、1時間待ち」――。
こういう話を聞いても、私はまったく羨ましいと思えません。
むしろ、「なぜそんなに時間を浪費できるのだろう?」と感じてしまいます。
遊園地のアトラクションや、人気の飲食店。
確かに話題性はあるかもしれません。
でも、私にとって「並ぶ」という行為は、それ自体がストレスであり、避けるべきリスクでもあります。
この価値観は、年齢や収入、家族構成に関係なく、
「自分の時間を大事にしたい」という感覚に根ざしているのだと思います。
遊園地で2時間並ぶのは、私には非日常ではなく「苦行」です
休日のテーマパークで、一番目にするもの。
それはアトラクションよりも「行列」です。
人気のジェットコースターに乗るために2時間待ち。
そのあいだ立ちっぱなしで、スマホをいじるか、天気の話でもするか…。
正直、私はその時間にまったく価値を感じません。
楽しむために来たはずなのに、なぜ疲れるようなことをするのか。
私には、どうしても理解できないのです。
飲食店も「並ぶくらいなら、家で食べる」が正直な気持ちです
テレビやSNSで話題のラーメン店やパンケーキ屋。
オープン前から人が並び、店の前に列ができている。
よく見かける光景ですが、私はその時点で行く気が失せます。
「美味しいのかもしれないけど、並んでまで食べたいか?」
「1時間並ぶなら、自分で作るほうが早くないか?」
こう思ってしまうのです。
そもそも、食事は快適な空間で、落ち着いて味わいたいもの。
汗だくで並び、空腹を我慢し、ようやく席について…となると、
どれだけ美味しくても感動は半減です。
並ぶ=価値がある、という幻想
多くの人は、「みんな並んでる=それだけ価値がある」と考えがちです。
でもそれは、本当に自分が望んでいるものでしょうか?
私は、並んで得る満足よりも、並ばないことで得られる快適さや自由を重視しています。
静かな公園でのんびり過ごすとか、
平日にすいている場所に行くとか、
空いているローカル店でおいしいものを食べるとか。
そういう選択肢を、あえて取っているのです。
時間の使い方が「価値観」を映し出す
私たちは、つい「お金を節約する」ことに意識が向きがちです。
でも、本当に大切なのは“時間”のほうではないでしょうか。
時間は貯金も再利用もできません。
一度失ったら取り戻せない。
だからこそ、どう使うかが人生の質を左右すると思っています。
私は、「1時間並ぶくらいなら、別のことに使いたい」んです。
まとめ:並ぶことに価値を感じないなら、それでいい
アトラクションでも、飲食でも、並ぶことに価値を感じる人もいるでしょう。
「その場の雰囲気が好き」「話のタネになる」――それも立派な理由です。
でも私は違います。
並ぶことは、時間を浪費することであり、ストレスの原因です。
並ばずに生きられるなら、それが最も贅沢なことだと思っています。
なので、私はこう言いたいです。
「並ぶくらいなら、行かなくていい」
「並ぶくらいなら、家で食べればいい」
それだけで、人生のストレスがだいぶ減るのです。
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